雨が戻る場所

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推しと自分の人生を比較してしまう系ヲタクの苦悩について

花粉が猛威を振るっている今日この頃、当方も鼻がむずむずするのでついに花粉症デビューかもしれません。

 

突然ですが、ヲタクという生き物は当然ながら”推し”がいるものです。無機物、二次元のキャラクター、三次元のアイドルなどなど、ジャンルを問わず”推し”に対する熱意がヲタクをヲタクたらしめていると私は思っています。かくいう私もれっきとしたヲタクです。二次元と三次元のはざまを揺れ動き二十ウン年、現在は三次元の芸能人にうつつを抜かしています。

彼らは私たちにとって夢を見せてくれる存在であり、ともすれば生きがいにもなりうる存在です。社会人のヲタクの皆様の中には、推しのためにお金を稼ぎ、推しのために使いたいという方もいることでしょう。少なくとも私はそうです。生活も大事だけれども、それとこれとは話が別なのです。

 

話は少しそれます。

社会人の端くれである私ですが、いわゆる正規雇用ではございません。あっちへふらり、こっちへふらりと腰がなかなか落ち着かない生活を送っています。コミュニケーションが苦手で吐きそうなほど面接が不得意なので、会社勤めには向かない人間なのかもしれないと落ち込みつつ、半泣きで仕事にありつき、なんとかやっています。

そんなダメダメな私をよそに、世界は当たり前に回ります。推しが自分と同じ次元に生きていれば、推しも当たり前のように仕事をして、生活している。きらびやかな衣装に身を包んで歌って踊っているかと思えば、バラエティーで体を張ったり、趣味で始めたものを仕事にしようと動いてみたり、誰も踏み入れたことのないジャンルに飛び込んでみたり。自分の仕事と真摯に向き合う姿は、ただでさえ好きなのにもっともっと魅力的で、輝いて見えることでしょう。

そんな彼らを見て、ダメダメな自分はこう思うのです。

 

「(推し)はこんなに頑張っているのに、なぜ私は頑張れないんだろう」

 

この思考パターンが、タイトルにもなっている「推しと自分の人生を比較する」ということです。

よく、「推しが頑張っているから俺(私)も頑張れる」という言葉を見かけます。実際はそんな考えを持つ人の方が多いのかもしれません。もしかしたら私のような考え方は少数派なのかもしれません。いや、私もたまーに調子がいい時は「私が今なんとかやれているのは推しのおかげだよな!」と思えることもある。けれどもだいたいは先に書いた思考が頭をかすめることの方が多いです。

そしてこちらもよく見かけますが、「ファンは推しの鏡」というワード。私は割と天才肌よりも努力型の人やキャラクターを好きになることの方が多いのですが、当然ながらみんな頑張っているわけです。最初からできるわけではないけれど、努力を積み重ねた結果、できることがたくさん増えて、自信もついてくる。そんな人たちのことを好きなせいなのか、頑張れていない自分が余計にみっともなく思えてくるのです(あくまで私の場合の話をしています)。しまいには余計な負のスパイラルに自ら飛び込んで、「こんな情けない奴がこの人を好きでいる資格なんてないんじゃないか、相応しくないんじゃないか」なんてとんちんかんなことを考え出します。好きでいることは自由だし、向こうからは自分がその人を好きでいることなんて1ミリも見えないのに、おかしな話です。だけど考え込んでいる本人は真剣です。考え込みすぎて、推しのことが嫌いになってしまわないように必死なのです。可愛さ余って憎さ100倍とはよく言ったものですね。

 

私自身も悩んでいる当事者なので解決方法なんてものは提示できないけれど(むしろ教えてほしい)、もし同じような苦しみを抱えている人がいたとしたら、ここに仲間がいますよ、ということはなんとなく主張しておきたい。推しのことをずっと好きでいられるように、ほどほどにくすぶっていきましょう。